財団法人日本野鳥の会千葉県支部会報「ほおじろ2005年9月号(第293号)」掲載
赤文字は後から訂正)

自然教室

洋上アルプス「屋久島」の片隅から

木下 大然

1.はじめに
 屋久島は九州本土最南端である鹿児島県大隈半島の先端、佐多岬の南南西約60キロメートルの位置にあります。周囲約132キロメートル、面積約505平方キロメートルの島で2つの町があり、約14000人が暮しています。屋久島の大部分を形成している花崗岩は、約1400万年前に地下十数キロメートルの深さでマグマがゆっくりと冷え固まってできた岩石です。花崗岩マグマは密度が小さく軽いため、少しずつ浮き上がってきて九州で最高峰の山がある現在の屋久島になりました。標高1936メートルの主峰宮之浦岳をはじめ、標高1800メートルを越える高峰がいくつも連なり、洋上アルプスとも呼ばれています。暖かい黒潮の本流に囲まれ山が高く急峻な屋久島では、近海からの水蒸気が山の斜面を上昇して雲となり多量の雨を降らせます。山間部では年間降水量が10000ミリを超えることもあります。
 雨はいくつもの川となり、滝をつくりながら海に向かって谷間をかけ下ります。
 海ではサンゴ、イセエビ、アオリイカ、温帯魚、熱帯魚等の魚介類をはじめ、イルカやウミガメもよく見られます。ウミガメは5月〜8月にかけて産卵のために上陸します。特にアカウミガメの産卵地としては北太平洋で最大となっています。一方陸上では、小さな島でありながら亜熱帯から亜寒帯までの地域を含み、植生も非常に変化に富んでいます。約1150種の顕花植物、約350種のシダ類、約650種の蘇苔類が自生し、その中には固有種が約40種も含まれていて、日本で最も固有植物が多い地域とされています。また屋久島を南限とする植物が約230種、北限とする植物が約70種もあります。スギは屋久島が南限ですが数千年も生きてきた大木もあり屋久杉と呼ばれています。また森の中ではヤクシマザル、ヤクシカ等の哺乳類から鳥類、爬虫類、両生類、虫や微生物に至る様々な生物が多様な生態系をつくりあげています。
 1964年3月、屋久島は霧島屋久国立公園に編入されました。当時国立公園を管理する環境庁していた厚生省は、屋久島の76%を占める国有林を管理する林野庁との駆引で、木を切り続けたい林野庁に抑え付けられ、屋久島の37%に当る、主に大木の無い標高の高い部分と、切っても運び出すのが大変な西側部分が国立公園となりました。更に1993年12月、国立公園の特別保護地区を中心に屋久島の21%がユネスコにより世界自然遺産に登録されました。自然に関する研究者達の殆どは「遺産に指定されてから自然にとって何一つ良いことはなかった」と言います。遺産地域以外の開発のあり方を見ても、人工的な公園や必要以上の道路工事が目立ちます。ヤマメ、タヌキ、シナダレスズメガヤ、イタチハギ、オオバヤシャブシ等、元々屋久島に存在しなかった外来種もどんどん持ち込まれています。観光産業にしても殆どが目先の利益を追いかける傾向にあります。
 屋久島の産業の割合を純生産額で見ると、第一次4.7%、第二次29.4%、第三次65.9%、就業人口で見ると、第一次14.2%、第二次24.2%、第三次61.6%(平成12年度)となっています。6割以上が第三次産業で、旅館、バス、タクシー、ガイド、土産店等、殆どが観光産業です。第二次産業にしても観光のための土木建築や、屋久杉工芸等土産物の加工業が多く見られます。つまり屋久島は観光で潤っている島です。特に遺産に指定されてから観光産業は急激に伸び、観光客は年間20万人を超え、島の人口も増えています。そのような中で、世界自然遺産の最大の目的である持続可能な自然を保つためにも、また屋久島の観光産業を持続可能なものにしていくためにも、観光のあり方をもう一度考え直し、人と自然が一つになって利益を考え、長い目で見た利益を求めていく必要があるでしょう。
2.林業の過ちとサル、シカの害
 屋久島では江戸時代から屋久杉の伐採が始まり、1960年代までにその殆どが伐採されてしまいました。更に1961年から林野庁の拡大造林政策により大規模な照葉樹林の伐採が行われ、その多くがスギの人工林に置き換えられました。住処を奪われた野生生物達は一旦上部の山中へと逃げましたが、人工林の成長と共に林を伝って里に下りてくるようになり、サル、シカによる農業被害の問題が出てきました。現在電気柵と捕獲により防除していますが、電気柵は2万円/メートルと高価な上にこまめな管理が必要で、しかも恒久的なものではありません。一方で残された自然林の中に集中したシカは繁殖能力が高まって増加の一途をたどり、シダ、草、低木等を食べ尽していきます。屋久島の植物に関して第一人者である九州大学大学院教授の矢原徹一氏によると、屋久島の植生に深刻な影響を与えているものは、「(1)シカの食害、(2)林道などの工事、(3)人間による乱獲、(4)登山の影響、(5)大陸からの汚染物質の飛来」とされています。矢原氏は数種の固有種はシカにより絶滅寸前の状態にあり、シカの食害が最も差し迫った問題だとも言っています。
 人工林のスギの中には既に40年ほどを経て伐期を迎えているものもありますが、安い外材の輸入によって地元材の消費が少なくなってしまい、多くのスギ林が手入されないまま残されています。一定以上地杉を使用した家に対しては補助金を出していますが、ごく僅かな額です。このような補助金はもっと増やしても良いと思いますし、行政が取り組む環境マネジメントの一環として、地杉をふんだんに使った環境負荷の少ない施設の建設等、行政が率先して地元の材を使うことをもっと考えていってほしいものです。また人工林であっても枝打や間伐等の手入をし、下草や他の樹種も共存させて野生生物達が暮せる環境を整えてあげる方法もあります。その上で経済的に成り立っている林業に対しては森林管理協議会(FSC)の森林認証制度があり、日本では三重県北牟婁郡海山町の速水林業に始まり、現在19件、約20万ヘクタールが認証を受けています。屋久島でもそのような林業に目を向けてほしいものですが、未だに天然木である屋久杉、小杉を中心とした林業を行っている中で、人工林の地杉はなおざりにされているのが現状です。
 他にも林野行政にはずさん極り無いものがあります。2,4,5-Tと呼ばれる化学物質がありますが、これはベトナム戦争で用いられた枯葉剤の成分の一つで、日本では林野庁が国有林の除草剤として使用していました。毒性が非常に強いため1971年に使用中止となりましたが、林野庁は処分に困り、北海道から鹿児島まで粒剤25062キログラム、乳剤2132リットルをコンクリート詰というずさんな方法で埋めました。この薬剤は猛毒の2,3,7,8-四塩化ダイオキシンを含有しますが、ダイオキシンが分解するよりコンクリートが劣化するほうが遥かに早いというのが問題で、漏れ出したら大変なことになります。屋久島でも林野庁の苗場だった「憩いの森」と呼ばれる公園内に粒剤3825キログラム(全国で2位)が埋められています。枯葉作戦の実施されたベトナムでは、1970年前後から肝臓ガン、流産、先天異常の多発が報告され始め、この被害は戦後30年を経た現在も続いています。
 林野行政の全てが悪いとは申しませんが、このようなことでは林野庁の存在自体に疑問を感じてしまいます。
3.屋久島に移住して
 1996年11月、私は妻と共に自給自足の生活を目指して屋久島に移住してきました。その後息子が生れ、母が移住し、今は家族4人で暮しています。農業者となって農地を購入し、地元の材をふんだんに使って家を建て、当初は自然農法でもやりながら海で食べる分だけ魚介類を採って暮すつもりでしたが、現実にはとても厳しいものがありました。畑に野菜を植えればシカの、シイタケをつくればサルの、春野菜は大発生する虫達のご馳走に……といった有様でした。それでも多くの農家がやっているように農薬を撒く気にはなりませんし、サル、シカ避けの防護柵を設置するほどの予算もありません。ちなみに現在屋久島ではJAの農薬の売上が年間1億円を超えると聞いています。合成洗剤やゴミに対する意識が低い人も多く、下水道も完備されていません。海に流れた汚染物質は、黒潮の流れによって僅か10日で関東の海に達します。そのような現状を目の当りにして、私達にはもっとやるべきことがあるのではないかと思い始めました。
4.エコツアー
 私が屋久島でエコツアーを始めた経緯をお話しするには、26年前まで遡らなければなりません。私はその頃、東京日本橋の中華料理店でアルバイトをしていました。そこのオーナーの石川勉さんは千葉県習志野市の谷津干潟で水鳥の調査をしていて、私もよく同行していろいろと教えていただきました。そして彼の奨めもあって日本野鳥の会、WWFジャパン、グリーンピースジャパン等に入会し、そのご縁で日本野鳥の会千葉県支部で活動している志村さんご夫妻とも知り合って親しくお付き合いさせていただきました。そういう訳で今でも私は千葉県支部に入っています。石川さんや志村さんご夫妻は、私が多感な青年時代に「自然に対する人間のあり方」という意識を目覚めさせてくださった、私にとってはかけがえのない大切な人達です。屋久島に移住することになったのも、また自然の宝庫だと思っていた屋久島が実は危機に瀕していることが分り、エコツアーでそのことを伝えていくべきだと思うようになったのも、全て皆様のお蔭です。紙面をお借りしてここにお礼申し上げます。
 エコツアーとは、自然の営みや人と自然の関わりを楽しむとともに、その対象となる自然環境や文化の保全に責任をもつ観光のあり方である「エコツーリズム」を具体化したツアーの形態です。地元の人が生活できなかったらエコツーリズムではないし、そのようなツアーであればただのビジネスに過ぎません。地元の人は、自然を残すことで生活できないと思えば、自然を壊して生活の糧とするでしょう。木を切れば一時的に潤うけれど皆伐してしまえばそれで終りです。それに対して森を守れば子々孫々生活できると考えるのがエコツーリズムです。エコツアーに参加した人は、自分の生活に戻ってからも身の回りの自然に目を向け、自分自身の生活を見直し、ゴミを減らしたり電気を節約したりするようになるでしょう。またそのように考え方が変ることによって良い政治家を選ぶようになり、地域全体、国全体が良い方向に変っていき、更にその考えは子供や孫、人から人へと受け継がれていくでしょう。
 エコツアーガイドは私にとって天職だと思っています。この業界では多くの人が高い意識を持って取り組んでいて、お互いに切磋琢磨しながらより良い方向を目指して頑張っています。この仕事を始めるまでは自然保護はボランティアでするものだと思っていましたが、自然保護が生活の糧になれば更に大きな力を生み出すということが良く分りました。特に自然破壊で金儲けをしている相手に対してはボランティアだけでは力不足です。地元経済の振興と共に在ることは自然保護を成功させる最大の秘訣でしょう。1999年初め、原子力発電所から出る使用済み核燃料の貯蔵施設を種子島に誘致するという話が持ち上がり、屋久島でも「隣の種子島にこの様な施設ができたら、私達の暮しに影響はないのだろうか?農作物や海産物への影響は大丈夫なのだろうか?子供達の未来にそんなものを残して良いのだろうか?」といった人々の思いから反対運動が高まり、上屋久・屋久両町で全国初の画期的な包括的非核条例が制定され、鹿児島県議会で「熊毛地域における核施設立地に反対する陳情」が採択されました。
5.救助犬
 エコツアーでは地域の自然や文化に対して敬意をはらい負担をかけないことが大切ですが、同時にツアーを安全に楽しんでいただくことも重要な課題です。その一環として私達は山岳救助犬の育成をしており、訓練と安全向上のためにエコツアーに救助犬を同行させていただいております。訓練は毎日の積み重ねが大切です。第一に、実地での捜索を可能にするために、遭難が起るあらゆる場面を想定して訓練を積んでいく必要があります。第二に、なるべく多くの人に接して友好性を養うことが必要です。この二つの目的に沿うためには、いろいろな登山コース、川、海等での訓練、また人の多い場所に連れて行っての訓練が欠かせません。更に救助犬の訓練においては、犬と共にハンドラー(犬を操る人)の訓練が非常に重要です。特に山岳捜索においては体力と共に高度な技術を要することもあり、日頃から鍛錬しておく必要があります。
 1995年1月17日の阪神大震災でスイスおよび富山から救助犬が入って捜索したことにより、新たな救助犬組織がいくつか設立され、全国での救助犬活動が活発になり始めました。しかしまだ一般の人達には馴染みが薄く、実際にどのような活動をしているかということさえ殆ど知られていません。その中で少しでも理解を深めていくには、実際に救助犬の作業を目の当りにしてその能力を確認していただくのが一番です。そのために私達はエコツアーにおいて、参加者に救助犬の訓練を手伝っていただいております。このことが救助犬の広報宣伝につながり、救助犬活動をしている全国のポランティアにも大きなプラスになっていることと信じています。
 屋久島山岳部利用対策協議会が発行しているマナーガイドには、「ペットの持ち込みはやめて!貴重な生態系に重大な悪影響(伝染病など)を与える恐れがあります。ほかの登山者の迷惑になりますので、持ちこみはやめてください。」と記されていますが、生態系に一番悪影響を及ぼしているのは人間であり、シャクナゲ登山やウォークラリーのように一度に200人〜300人を人山させることは容認しておきながら、僅かな犬の入山を拒むのはナンセンスです。人が犬と付き合い始めて1万年以上になりますが、飼犬が自然を大きく破壊したという歴史はありません。むしろ人間こそ体内に多くの病原性のものを含むバクテリア等が存在しています。屋久島の登山者は年間6万人を超えますが、多くの登山者が利用する山小屋では、その屎尿を山小屋の周辺に埋めているだけであり、そのようなずさんな処理の仕方を見ても、人間と犬のどちらが山を汚染しているかは明白でしょう。
6.付記
 最後までご拝読いただきありがとうございました。いろいろとシビアな意見も書かせていただきましたが、屋久島の自然が魅力的な存在であることは紛れもない事実です。ホームページも開いておりますので、そちらにも是非遊びにいらしてください。皆様からのご意見もお待ちしております。
 屋久島だより(http://yakushima.org)