******遭難者8日ぶりに生還!******

 福岡県宗像市から来て6月24日に入山した大森さんが予定日を過ぎても帰宅しないので、心配した家族から6月28日午後屋久島署に届けがあり、同署は山岳遭難とみて翌29日から山岳救助隊らと捜索していました。7月1日、2日は私達も捜索に加わりました。アマチュア無線機を携帯し、1日は他の救助隊員らと、2日は長峯の家と十七支線車道終点(標高1010m)とに固定局を設け、連絡を取り合いながら捜索しました。2日の捜索を打ち切り、ガイド仲間と新高塚小屋で翌日からの捜索について相談していた時、無線機に「大森さんが無事保護されました」という知らせが入りました。栗生の林道を歩いているところを屋久島森林管理署職員に保護されたそうです。

 大森さんは6月24日午後白谷雲水峡から入山し、その日は新高塚小屋に一泊。翌25日朝宮之浦岳に向けて出発し、宮之浦岳手前500mの焼野三叉路を越えた辺りで悪天候のため道に迷ったそうです。この辺りは50cm〜2mもあるヤクザサで一面に覆われ、また濃霧で視界が数mしか効かないこともあります。3時間程迷った末、沢伝いに下りれば里に行き着くだろうと判断し、小楊子川に沿って下りてきたようです。寝袋は携行していましたが、食料はおにぎり3個とカロリーメイト、キャラメル、クッキー各1箱だけで、26日午後以降は水だけでしのいだそうです。大森さんの登山歴は富士山に2回登った程度。また装備などからみて、屋久島の奥岳で道に迷い自力で里まで下りて来られたのは奇跡的なことです。
 7月5日には大森さんから遭難時のことなど色々とお聞きしました。今後の対策もあるので、この件については捜索に関わる人達とじっくり話し合っていくつもりです。

 山の険しい屋久島では沢も険しく、遭難した時に沢に降りることは非常に危険です。人工登攀の道具と技術を持っていればともかく、普通の装備の場合は天候の回復を待って尾根伝いに移動し、それでも道が分らない場合はその場で救助を待つことです。ただし雷のなっている時には山頂、稜線、岩角、大木の直下など、雷の落ちやすい場所から即刻離れることです。
 










(右)


(左)

屋久島だよりトップページ