甲斐犬会報第122号掲載 本来の甲斐犬の姿を再び
鹿児島県 木下 大然
私は鹿児島県の離島「屋久島」で救助犬として甲斐犬を訓練し、また性格や運動能力を重視しながら繁殖をしています。昨年12月に生まれた仔犬の1頭は、遥々海を越えてフィンランドに旅立ちました。フィンランドはヨーロッパでも有数の犬大国であり、この地にはやはり熊犬として熱い血を受け継ぐカレリアン・ベアドッグがいます。そのキャラクターは甲斐犬と殆ど変わりません。そのような地で甲斐犬が迎え入れられたことは、共通の伝統を通じて交流が深まる良いきっかけになるでしょう。またフィンランドの犬の訓練法については大いに学ぶところがあります。彼らは大袈裟なジェスチャーをせず、語りかけるように静かに接しながら訓練を進めていきます。子供たちの教育についても全く同様で、両親や教師はそれぞれの子供の能力を引き出し、個性を伸ばすような教育をしています。この場をお借りして、この度フィンランドに仔犬を運んでいただいた千葉県のF氏に深く感謝申し上げます。F氏自身も甲斐犬を飼養し、優良血統の繁殖と普及に尽力されています。
さて、周知の通り今年3月11日には東北関東大震災が起り、甚大な被害をもたらしました。翌12日、私は所属している災害救助犬ネットワークからの要請を受け、甲斐犬とラブラドール・リトリーバーを伴い東北まで救助に駆け付けました。現場は激しく壊れた家屋、車、船が積み重なり想像を絶する状況でした。津波警報が頻繁に発令される中、釘や割れたガラスが散乱し、泥と油で滑りやすく、人や犬が歩くのも非常に危険な状況での捜索となりましたので、思うように捗りませんでした。その中でも甲斐犬は慎重に足を運び、捜索に集中していました。しかしその後、福島原発の事故で放射線レベルが高まり、私たちは公務員ではなくボランティアとして救助活動をしていることもあって、「これ以上自分たちの身を危険に晒してまで捜索する必要はないだろう」という意見が出されました。チームの中には被災者でもある福島、宮城、岩手のメンバーもいて、その人たちは捜索を続けることにしましたが、福島より南から駆け付けた私たちは苦渋の判断の結果引き上げることにしました。現地で苦しんでいる方々のことを考えると大変心苦しい限りです。少なくとも原発事故がなければ、私たちももう少し東北に残り救助活動を続けていたと思います。そういう意味で原発とその事故がなかったら……と本当に口惜しい思いをしました。
私たち日本人は簡素な生活の中で侘び寂びを愛で、幽玄を味わい、足るを知るような情緒豊かな心を持っていたはずです。それが甲斐犬のように質朴で洗練された犬種を生み出したのでしょう。私は古い伝統を大切にしながら生きてきた「またぎ」の生活に深く敬意を表しています。甲斐犬を含む日本犬はその重要な伴侶であったはずです。そのような素朴な生活を忘れ、今や経済大国となって至れり尽せりの生活が浸透してきています。一方で私たち日本人が本来持っていた情緒豊かな心は失われつつあります。
今回の福島原発事故はそのような生活の付けが回って来たとしか言いようがありません。屋久島は水力発電を中心とした電力供給ですが、私自身、自然に囲まれた屋久島で生活していながら、原発による電気でつくられ輸送されている物資を買い求めています。そういう意味で、この事故の加害者の一人であることに相違ありません。今や全国に54基もつくられてしまった原発ですが、中でも浜岡原発は世界で最も危険だと言われています。そこは甲斐犬発祥の地である芦安村(現南アルプス市)、上九一色村(現甲府市、富士河口湖町)、平林村(現富士川町)から最も近い原発で、直線にして28里ほどしか離れていない静岡県御前崎市にあり、直下には活断層を抱えているため、強震が起きたらひとたまりもありません。駿河湾地震説を発表した地震学者石橋克彦氏は、5月23日の国会で参考人として呼ばれ、浜岡原発のことを「地雷原の上でカーニバルをやっているようなもの」と言われました。原発は止めても決して安全ではありません。崩壊熱がなくなるまでには100万年もかかります。どうして日本のような地震大国で、これほど危険な原発を進めてきたのでしょうか。
私は甲斐犬の訓練、繁殖に携わる者の一人として、今一度日本人が自然に対する畏怖の念を取り戻し、またぎのように伝統を重んじ、また甲斐犬にも本来の仕事を全うすることができるような環境を取り戻してほしいと願っています。
末筆ながら、今回の震災の犠牲者に謹んで哀悼の意を表し、また今後も増え続けるであろう原発事故の被害者に対して何ができるか、じっくりと考えていきたいと思います。
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