甲斐犬会報第106号掲載

甲斐犬が災害救助犬に

鹿児島県 木下 大然

梯子を下りる雁 私の飼っている甲斐犬は、二〇〇〇年一二月八日生まれの雲居の雁(通称かり)という雌犬です。私は実にかわったいきさつで甲斐犬を飼うことになりました。
 私が住む屋久島は、面積五〇〇平方キロメートルあまりの小さな島でありながら、標高一九三六メートルの九州最高峰宮之浦岳をはじめとする連山があります。暖かい黒潮の本流に囲まれ、山が高くかつ急峻な屋久島では、近海からの水蒸気が山の斜面を上昇して雲となり多量の雨を降らせます。雨は豊かな森林をはぐくみ、いくつもの川となって滝をつくりながら海に向かって谷間をかけ下ります。一九九三年には世界自然遺産に指定され、多くの観光客が訪れるようになりました。しかし安易な気持で山に入る人も多く、遭難事故が後を絶ちません。
 二〇〇〇年夏、山岳遭難者捜索のために屋久島の山に救助犬が入りました。私はこの救助犬グループのガイドをしたご縁で、屋久島初の救助犬の養成をはじめることになりました。その年の秋、琵琶湖で開催された水難捜索訓練に参加し、救助犬の能力を再認識しました。そのとき、たくさんのラブラドール・レトリーバーやジャーマン・シェパード・ドッグなどの大型犬に混じって一頭の甲斐犬がいたのです。私は一目で甲斐犬の魅力に取り付かれました。また屋久島のような急峻な山岳地帯で使うには、甲斐犬が一番向いていると直感しました。その犬こそ雁の父犬、勝友(通称すぐり・会報九九号参照)だったのです。勝友の飼主である長野県小諸市の山下國廣さんは、「ぜひ屋久島に甲斐犬の救助犬を」という私の熱意にこたえ、そのときはまだ生まれていなかった勝友の子を譲ってくださることを約束してくださいました。勝友のお嫁さんは東京の神藤さんが飼っている桜夜姫(通称メルー)という犬です。一二月八日、桜夜姫が無事四頭の子犬を産んだとの吉報が入りました。山下さんに、子犬は七週間ほど母親や兄弟姉妹と一緒にいて犬の社会を学ぶことが必要だと言われましたので、翌年二月三日に迎えに行くことにしました。そして当日、山下さんにご同行いただき、一番救助犬に向いていそうな子犬を選んでいただきました。それが雲居の雁だったのです。その名は神藤さんの娘さんが、源氏物語から引用されたものです。その後、雁を救助犬にするべく、山下さんと綿密に連絡を取りながら訓練を進めました。特に注意されたことは、「甲斐犬はなかなか他人になつく犬ではないが、救助犬は他人を救助するわけだから、多くの人や犬に会わせて情緒豊かに育てるように」ということでした。私は幸いにもエコツアーガイドという仕事をやっている都合上、多くの観光客に会う機会があります。それをうまく活かしながら訓練を進めた結果、雁は誰に対しても優しい犬に育ちました。お蔭様で雁は昨年一〇月、富山で開催された全国災害救助犬協会連合会主催の災害救助犬認定審査会において合格しました。勝友に次いで二頭目の甲斐犬の災害救助犬が誕生したのです。
 ここで災害救助犬について少し説明させていただきます。災害救助犬はその鋭い嗅覚を使い、災害現場で瓦礫や倒壊家屋の下に埋もれた生存者を探したり、山岳遭難などの行方不明者を探す犬たちです。災害(遭難)現場で生存者のにおいを探しまわり、においをかぎつけたら大きな声で吠えて指導手に知らせます。日本では、阪神・淡路大震災で一躍脚光を浴び、その後のトルコ大地震、台湾中部大地震、アメリカでの国際テロ事件でもその活躍ぶりがマスコミに紹介され、働く犬としてすっかりなじみ深い存在になりました。
 災害、遭難はいつ、どこで発生するか分りません。災害救助犬たちは、どのようなときでも指導手の指示に従って探索の仕事をきちんとこなせる犬たちです。災害救助犬に適しているのは、他の人や犬に対して友好的で、なおかつ大胆で行動力のある賢い犬でなければなりません。臆病な犬は災害救助犬には向きません。自分から積極的に動きまわる行動力は、探索を仕事とする犬には欠かせない要素です。
 災害救助犬が必要な災害や遭難はそれほど多くあるわけではありません。犬たちは、普段は普通の家庭犬としてくらしています。しかしその間にも訓練を続けていないと、人を探して遊んでもらう喜びを忘れてしまったり、足場の悪い場所を怖がるようになってしまいます。何もしないと能力も体力も落ちてきます。できれば毎日訓練をしなくてはなりません。犬の訓練は、人間の子どもを育てることと一緒です。愛情を持って根気よくしつけていくことが大切です。しつけの基本は、して良いこと、悪いことの区別をしっかりと覚えさせることです。肝心なのは犬に信頼感を抱かせることです。人との絆ができて初めて号令を聞いてくれます。
 他人に愛想の良い子犬を飼っていらっしゃる方、「性格が甘い」などともったいないことを言わずに、ぜひ救助犬の訓練をして、社会の役に立つ甲斐犬の仲間になりませんか?

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