中日新聞2004年12月6日(月曜日)15面掲載 屋久島へ、一週間ひとり旅をしてきた。今回の旅の準備は、すべて自宅のパソコンからインターネットにアクセスし予約し、旅行会社の世話にならなかった。いつから旅行会社は旅のシーンに登場しなくてすむようになったのだろうか、などと考えながら屋久島空港に降り立った。
空港に車いすトイレがひとつも設置されていないことに落胆した。バリアフリーツアーの企画を通じて身体の不自由な人の旅立ち実現に力を注いできた私にとっては、まず目がそこに行く。屋久島が世界自然遺産になったのは一九九三年。それから十年あまりがたつのに、世界遺産の入り口、いわば玄関である空港に車いすトイレがない現実に、島の観光行政レベルの一端を見る思いがした。
驚いたのだが、屋久島には島外から移住してきたエコガイドがたくさん活躍していた。エコガイドとは、屋久島の山に旅行者を案内し、世界自然遺産のすばらしさや保護する必要性などを伝えながら、無事下山させる役割を担っている。資格が問われないので、山歩きが得意な個人で送迎の車さえあれば、その日からエコガイドを名乗れる。インターネットと口コミが集客のための重要なツールとなっている。
エコガイドを一日ひとりお願いすると、宿までの送迎を含めて一万五千円ぐらい取られる。人数が増えたら、倍倍ゲームのようにガイド料金が加算されていくという。この驚くべき加算システムに面食らった。観光業界の常識では、決められたガイド料金を参加人数で割っていくのだ。しかし、考えてみれば、初めから個人旅行者を相手に発展してきたのが屋久島のエコツーリズムである。既存の観光業者が、世界自然遺産に対してリーダーシップをとれないうちに、屋久島の自然に心ひかれて住み着いた人々が好きなことを仕事に結びつけ、旅人のニーズに合わせて旅をアレンジするうちに、個人レベルのエコツーリズムが育ってしまったのだろう。
屋久島には山岳救助犬がいた。今のところ一頭だけだが、エコガイド木下大然さん(四二)がハンドラーである雁(かり)という真っ黒な甲斐(かい)犬である。この犬の訓練を見せてもらった。急なはしごでも恐れずに登り降りするし、果敢に川に飛び込み、岩場を登り、ブッシュを走り抜けたりする。それは見事だった。遭難者を山中で捜し出すのにめざましく役立つだろう、と想像できた。が、屋久島の山で山岳救助犬として出動することを観光協会などから妨害されているという。
反対の理由は「動物が山に入ると生態系が変わるから」とのことだが、そもそもゴミも落とすし、ウンチもする動物=人間が、そのような理論を持ち出していいのか、という気がした。エコガイドと地元関係者との間で、どんな確執があるのかは分らないが、万が一の遭難時の山岳救助活動においては、一定のルールを作り、山岳救助隊と山岳救助犬の力を合わせて、遭難者を一刻も早く助け出すのが、関係者の使命ではないかと思う。
屋久島には樹齢何千年もの太古の杉たちがどっしりと森に陣取り、大自然の中で次の世代を黙々とはぐくんでいる。人間の営みも、屋久杉に恥ずかしくないものになってほしい。(トラベルデザイナー)
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