屋久杉とは屋久島に自生する樹齢1000年以上のスギのことです。1000年未満のスギは小杉と呼ばれ、植林されたスギは地杉と呼ばれています。屋久杉は元々岳杉(たけすぎ)と呼ばれていましたが、明治以後の国有林経営の中で屋久杉と呼ばれ一般にも定着しました。
 屋久杉は雲霧帯に覆われて太陽光線の不足する屋久島の厳しい自然環境の中で大変ゆっくり育ちます。そのため年輪が緻密になり、内地の杉の6倍もの樹脂を含むようになります。その材は大変腐りにくく古くから平木(ひらぎ=板瓦)などに利用されてきました。平木を作る時は年輪に沿って割るので、凹凸が少なく割り易いまっすぐな木が選ばれました。また根元付近も平木には向かなかったので、足場を高く組んで幹のまっすぐな部分から切られました。平木には色々な大きさがありましたが大きいもので長さ48cm、幅10cm、厚さ7mm程でした。当時平木は島内での売買が禁じられ年貢として納められていました。また米、小麦、大麦、大豆、粟などと交換されるなど貨幣的な役割も果していました。
平木との換算例

米一石・・・・・・140束
小麦一石・・・・・52束
大麦一石・・・・・26束
大豆一石・・・・100束
小豆一石・・・・150束
蜜柑千個・・・・・11束
真綿百匁・・・・・30束

※平木1束は100枚
一石=約180リットル
一匁=3.75グラム
 昔屋久島の人々はスギの巨木を御神木として崇め、切ることはありませんでした。ところが泊如竹という儒学者が寛永17年(西暦1640年)、屋久島の林政について薩摩藩主島津光久に献案し、言葉巧みに島民を納得させ、平木を年貢として収めさせるようにしました。その後平木を作るためスギの巨木は切られ続け、江戸時代の260年間で25000本の巨木が伐採されました。
 明治時代には屋久島の森林の殆どが国有林として制定され、スギの巨木は屋久杉と呼ばれるようになりました。その頃から屋久杉は板戸、欄間、柱などの建築用材として利用されるようになり、どんどん伐採されました。更に戦後の復興期から経済の高度成長時代に原生林もろとも切られた屋久杉は21500本にも上ります。
 現在では屋久杉と呼ばれる樹齢1000年以上のスギは数千本しか残っていません。そのため屋久杉の伐採は禁じられ、昔平木として利用された材の残りや切株、倒木が土埋木(どまいぼく)と称して利用されています。しかし土埋木を運び出す時には支障となる木は全て伐採されてしまいます。また現在でも1000年未満のスギは伐採され、利用され続けています。価値観も大きく変り、こぶや曲りくねった材の方がもてはやされ、主に工芸品として利用されています。
 

(1998年11月24日撮影)
 

トロッコで土埋木を運び出す光景

 このトロッコはレールを溶接して造られています。トロッコは機関車で引っ張って上り、土埋木を積んだ後機関車から切り離し、手動ブレーキを掛けながら下りてきます。ブレーキ片は木で出来ていて、ロープを引っ張るとそれが車輪に当ってブレーキが掛かる仕組です。ブレーキの掛け方を誤ると脱線することもあり、操縦には経験と勘が必要です。またチェーンソーの扱いや集材機の運転など、土埋木を運び出すには色々と危険な作業が伴います。


 屋久杉には多くの植物が着生しています。それは湿度の高い屋久島の森ならではの現象です。高木の根元からこずえ近くまで苔むしていることも多く、そこに植物の種子が着くと芽生えて育つのです。着生することによってより多くの日照を得られ、またスギの落葉から出る有機酸を避けることができます。着生植物の上に更に着生している植物も見られます。これ程多くの着生植物が見られる地域は世界的にも稀で、屋久島の自然が如何に貴重な存在であるかを物語っています。
 戦後、全国的にスギ、ヒノキの植林が盛んになりました。屋久島も例外ではなく、低地から標高1000m付近まで広範囲に渡りスギが植林されています。スギやヒノキは根が浅く、常緑の葉は数年に一度の落葉です。そのためスギやヒノキばかりの林では保水力が乏しく、日照りが続けば川が干上がって水不足になり、大雨が降れば洪水や土砂崩れを引き起します。その土砂崩れを防ぐために余計な砂防ダムを建設することになり、更に自然を破壊していくことにもなります。またスギやヒノキばかりの林は植生も乏しく、動物達にとっても住み辛い環境です。やはり色々な樹種のある自然林が、人にとっても動物達にとっても一番良いのではないでしょうか。

ΨΨΨ 屋久杉の巨木 ΨΨΨ

Ψ 縄文杉(じょうもんすぎ)
  • 所在地:大株歩道
  • 標高:1310m
  • 幹周:16.1m
  • 樹高:30m
  • 推定樹齢:3000年以上
    (7200年説あり)
 

(2003年2月10日撮影)
 






Ψ 大王杉(だいおうすぎ)
  • 所在地:大株歩道
  • 幹周:11.3m
  • 樹高:28m
  • 推定樹齢:3000年

Ψ 紀元杉(きげんすぎ)
  • 所在地:安房林道
  • 幹周:13.5m
  • 樹高:19m
  • 推定樹齢:3000年

Ψ 弥生杉(やよいすぎ)
  • 所在地:白谷雲水峡
  • 幹周:8.2m
  • 樹高:28m
  • 推定樹齢:3000年

(1998年8月4日撮影)

(2000年4月23日撮影)

(2000年5月3日撮影)


Ψ 川上杉(かわかみすぎ)
  • 所在地:淀川登山口近く
  • 幹周:10.0m
  • 樹高:24m
  • 推定樹齢:2000年

Ψ 翁杉(おきなすぎ)
  • 所在地:大株歩道
  • 幹周:12.3m
  • 樹高:27m
  • 推定樹齢:2000年

Ψ 仏陀杉(ぶっだすぎ)
  • 所在地:ヤクスギランド
  • 幹周:12.6m
  • 樹高:25m
  • 推定樹齢:1800年

(2000年4月23日撮影)

(1998年8月4日撮影)

(1998年7月28日撮影)


Ψ ウィルソン株
  • 所在地:大株歩道
  • 標高:1040m

(1999年2月23日撮影)
   トロッコ道から大株歩道に入り暫く進むと突然視界が開け、目の前に見事な大株が現われる。この大株は大正3年(1914年)、アメリカの植物学者 E. H. Wilson が来島したのを記念にウィルソン株という名が付けられた。山中の植物を研究するため山に入っていた時、降り出した雨を避けるため側にあった洞穴に入ったところ、内部を見渡して初めて杉の切株であることに気が付いたと言われている。胸高直径4.4mもある切株で、地上れている。中は空洞になっていて畳10枚敷も4.5mの高さで伐らあり、泉が涌いている。一説によると天正14年(1586年)、豊臣秀吉が島津義久に命じ、京都の方広寺大仏殿の用材として伐採させた切株の一つと言われているが定かではない。
(伐採当時推定樹齢2000〜4000年)


屋久島だより(屋久島の素晴しい自然と私たち家族の紹介)
 
Earthly Company(屋久島エコツアーガイド)