ヤッタネ!通信3号  

2000年2月15日発行

ヤクタネゴヨウマツ調査隊事務局 手塚 賢至
〒891-4203 鹿児島県熊毛郡上屋久町一湊白川山 TEL&FAX0997-44-2965

ヤッタネ!調査隊、種子島行報告

今号は1月に遂行された調査と行程をまとめた種子島<小>特集です。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ヤクタネゴヨウが結ぶ島∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

長野 広美

 海に浮かぶ島には、「おとこ島」と「おんな島」があるそうだ。男島というのは、自然環境が厳しく、人は狩猟民族的。また女島というのは、緩やかな地形に代表されるように人の住みやすい自然で人は農耕民族的だという。屋久島と種子島はまさに男島と女島。近い距離なのに2つの島は異なる点がとても多い、と思う。この2つの島にだけ自生するヤクタネゴヨウをそれぞれに観察することは、私の個人的な「島」へのこだわりという点から言わせてもらうと、2つの島がヤクタネゴヨウで結ばれてさらに分岐しているつながりの深さが少しづつ見えてくるようで、とてもおもしろい。

 さてお正月気分がまだ抜けきれない1月15日西之表市の鉄砲館に約60名の市民が集まり、金谷整一さんがヤクタネゴヨウについて、また手塚賢至さんに屋久島での調査について講演してもらった。スライドで写された手を広げようとする1本の実生の生命力が輝いていて、講演会のハイライトになったように思う。翌日は雨模様にもかかわらず40名を越える参加者が集まり、国有林保護区内を約2時間探索した。種子島のヤクタネゴヨウとの出会いを参加者全員が楽しむことができたのは、前日の講演内容が充実していた事と、実物を見ながらの金谷さんのわかりやすい解説があったからこそ。

 今回の企画は「種子島を語る会」と「種子島自然観察会」、さらに「ヤクタネゴヨウ調査隊」の3団体で共催し、西之表市、中種子町と南種子町の教育委員会の後援を得た。参加者を幅広く募る事ができ、屋久島からの11名の参加者と種子島の関係者による「人の交流」の場ともなった。また、開催の様子が1月22日南日本新聞で紹介され見知らぬ人からも反響があり、私はまるで「歩くヤクタネゴヨウ」広告塔のような気分だった。

 さて、大事なのは、これから。種子島のヤクタネゴヨウが生物学的にどう屋久島のヤクタネゴヨウと異なるかは専門家に任せるとしても、 100本程度しか自生していない種子島では特にその存在を知ってもらい、なぜ絶滅に瀕してるのかを理解するための環境教育を広げる取り組みが大切でないかと思う。

 実は最近、核燃料の中間貯蔵施設を種子島へ誘致するという話が聞こえる。今回探索した国有林保護区からもそう遠くない山間部が、その誘致先の一つとして噂されている。ヤクタネゴヨウを汚染させるかもしれないと考えると戦慄が走る。屋久島の調査で出会った雄々しいヤクタネゴヨウと若くて素直な種子島のヤクタネゴヨウは、男島と女島の違いの一つなのかもしれない。この自然の不思議をどうしても次の世代に残さなければならないと思う。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽長野広美さんのプロフィール∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 鹿児島県西之表市(種子島)生れ。'85年ハワイ大学卒後、大和アメリカ証券(ニューヨーク市)米国株式部及び米国証券会社東京支店調査部に勤務。'93〜'98年日本国際ボランティアセンターに入り、広報担当。この間、アイゼンハワーフェローシップ日本代表、東京都・国連共催「都市と市民の国際会議・循環型社会を目指して」企画委員等を勤める。'98年種子島へ帰省。西之表市振興計画審議会委員。著書に「実践ボランティア・コーディネーター」(共著 中央法規出版 1996年)。


南日本新聞 2000年(平成12年)1月22日

ヤクタネゴヨウ守ろう
西之表市で講演会と現地観察

早急な保全対策必要   市民ら
学 ぶ

 絶滅危ぐ種に指定されているヤクタネゴヨウの実情を知ろうと、西之表市の住民らが十五、十六の両日、講演会と現地観察会を開き、多くの市民が実情と保全のあり方を学んだ。

 絶滅危ぐ種の松

 ヤクタネゴヨウは屋久島と種子島にしか自生していない五葉松の一種。両島に合わせて二千個体余りあると推定されているが、最近枯死が相次いでいる。今回の催しは種子島を語る会など三団体が主催した。
 十五日の講演会には約五十人が出席。九州大学農学部造林学研究室の金谷整一さんが、松の特徴と分布の実態など報告。「種子島では西之表市と中種子町との境界を中心に分布しているが、ほとんどが単木で自生しており、新しい固体はできていない状況。人工交配など早急に対策を取る必要がある」と呼び掛けた。
 続いて、ヤクタネゴヨウ調査隊代表の手塚賢至さんが、昨年から始めた屋久島の分布調査や苦労話をスライドを交えながら報告、会場を埋めた市民らは熱心に聞き入っていた。
 十六日は西之表市中割の林野庁植物群落保護林で観察を行い、四十人が参加。金谷さんの案内で山林に分け入ると、樹齢十年から六十年と見られる自生木が数本見つかり、参加者は直径や樹高など記録していた。催しを企画した長野広美さん(西之表市)は「自然の中で貴重な松を学ぶ機会ができ、とても有意義だった。今後も観察会を継続したい」と話していた。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽私の種子島満喫記∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

──ヤッタネ調査隊種子島調査行に参加して──

手塚 みお(屋久島高校3年)

 1月15・16日の両日、ヤッタネ調査隊は種子島を満喫してきました。メンバーは屋久島から皆で10名。宮之浦港で水野さんの車と一緒にフェリー太陽に乗り込みました。島間港に着くと、金谷さんと、種子島の唯一のメンバー長野広美さんが待っていて、2台の車に分乗してさあ出発です。車から見る種子島は相変らず平たいなあと思ったけど、屋久島では見られない珍しいものがたくさんあって見ているだけでもう種子島を充分満喫した気がしました。そして牛小屋があり、牛がいて、さとうきび畑や、野菜畑が気持ちよさそうに広がる、のんびりとした風景の住み心地のよさそうな種子島がとても好きになりました。だけど楽しんでばかりではいけません。ヤッタネ!調査隊としてやらねばならないことをやりましょうということで、種子島の分布調査です。中種子町の民家の裏にある樹齢120年の松や、益田中学校内の50年前、設立時に植えられた松に会いに行きました。どちらも元気そうで、力一杯生きている感じを受けました。でも種子島の松は本数がとても少なくて、交配しにくく新しい芽を出すのは大変だそうです。屋久島に比べて生息地は平坦な低地や、人家の近くにあり、私達の移動はほとんど苦労せずにすみました。山の中を車で走り、七尋五葉の記念碑を見に行きました。七尋五葉とは、七人の人が手を広げて輪になった時と同じ太さだったと聞いて驚きました。碑のまわりにも何本か五葉松があったので、この木たちがいつか七尋までに大きくなってくれればいいなあと思いました。2時からは、これ又いきなり「街」なのでびっくりしてしまった西之表市の鉄砲館で「ヤクタネゴヨウを知ろう」というスライドを使った講演会に参加しました。60人程の人が集まり皆さん真剣に聞いておられて、なんだかとても頼もしい感じです。夜は種子島の主催者の方々と交流会もあり、この晩は鹿の研究者の立澤さんが市内に借りている家に泊めさせてもらいました。2日目は朝9時から古田地区の中割国有林内で実際にヤクタネゴヨウを見る自然観察会です。40人程の人が集まりました。集合した小学校の前で丁度朝市があって、私達はあれこれ種子島の新鮮な野菜を手に入れて朝から大満足。すばらしい自然の残る中割国有林内では金谷さんの説明を聞きながら4本の成木を観察しました。2本目の木の近くにたくさんの実生を見つけることができて、皆さんとてもうれしそうでした。種子島の森は屋久島に似てはいましたが雰囲気は微妙に違っていて、それが又おもしろいのです。昼の弁当は鴻峰小学校で食べました。校舎の前に100歳の木がそびえていて、木の近くにたくさん実生が生えていました。鉢植えされた2本を校長先生にいただきました。元気に育ちますように。鴻峰小学校は今生徒が1人しかいません。このまま廃校になってしまうのはもったいない素晴らしい学校なのでどなたか転入を考えて下さい……。帰りの船まで少し時間があったので、メヒルギの海岸を見に行きました。そこは湿原のようなところで、とてもきれいな不思議な空間でした。1泊2日という短い時間でしたが、五葉松以外にも、種子島の事や物、そして人にも会えて本当に楽しくて充実した2日間でした。それもこれも、ヤッタネ!調査隊の前向きな力と、長野さんの守備範囲の広さのおかげだと思っています。そして又来よう、今度の調査は長期滞在で、夏にでもと、もう次回の計画を立てているヤッタネ!調査隊でした。

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 かつて種子島のどこからでも見えたという七尋五葉。1948年に枯死。現在は跡地に碑が立てられている。【幹周囲12m 直径3.8m 樹高32m 樹齢500年】
 西之表市の「鉄砲館」は鉄砲伝来はもとより自然史、民族史ともに優れて充実した博物館です。その一角にヤクタネゴヨウ特設展示室があって、七尋五葉の根廻り部分と幹のレプリカが展示されていて圧倒されます。


風媒花伝
お知らせ・情報・風のたより

 1月は種子島行に続き30日(日)に屋久島の調査も行った。この日は朝から雨。心配しながら現地へと向かう。なんとか雨あがるが、北西風が吹きつける。12月からの続きの尾根を6名で調査。寒い。時折みぞれも打ちつける。皆、体はブルブル鼻水タラタラ、冬の北西向き尾根のきびしさを身をもって知る。斜度もきつく難儀するが、尾根を登りつめると標高600mあたり、直径10cm〜30cmぐらいの若い木がまとまっている場所があった。下図の@を拡大したのが右図である。

 左図は、ヤッタネ!調査隊のこれまでの成果である。2月の調査は上図からさらに高度を上げていく。この標高になると、スギやツガも現れてくる。ヤクタネゴヨウもふくめ、針葉樹と広葉樹が見事なハーモニーを見せてくれる森である。左図のAは12月末の調査地。傾斜のきつい岩壁の上や附近に30本程の幼樹を確認してある。この図面は次号に載せる予定。上図の調査では、砂川さんが持参したハンドコンパスが威力を発揮した。生木がまとまっているところでは手軽にあつかえるすぐれた道具だ。さっそく調査隊でも購入することにした。調査法も毎回いろんな発見があって進歩していく。

2月の調査日 20日(日)
3月の調査日 19日(日)
> いずれも第3日曜日、集合午前8時です。
集合場所や参加の有無を前日までに問い
あわせ、お伝え下さい。

◎中島和也さん引っ越す。
 ヤッタネ!隊発足時より積極的、精力的に活動を続けていた、ナカジーこと中島和也さんが2月1日山梨県へ引越しました。なんとも残念でなりません。いろいろな修行と経験をつんで、改めて又屋久島に戻ってきてくれることでしょう。とはいえ、フットワークの軽やかなナカジーのこと、ある日の調査日、山の中にひょっこりと顔を出し、私達をビックリさせてくれるような気がします。
◎白川山に永く滞在していて、調査に何度も参加してくれた、旅の人2人、杉野有君と吉本章君も次の旅へと屋久島を離れて旅立ちました。御苦労様、ありがとう!

──次号からメンバー紹介を少しずつ始めます。おたのしみに。──

《編集後悔記》

★1月の種子島行はとても印象深いものとなりました。たくさんの出会いによりこれからも一層、深く近いつきあいが続けられますように願っています。お世話になりました種子島の皆様に深く感謝致します。
★コピー機の調子がよくない。中古品ではあるがしょっちゅう故障して、なにより写真が黒くなるのが困る。なんとかならぬものだろうか。もうすぐ2月の調査日だ。どなた様も風邪などめさぬようお気を付け下さい。

ヤッタネ!調査隊は「全労済」環境問題活動助成を受けています。



ウェブマスターより
 このページは「ヤッタネ!通信3号(A3サイズ印刷物)」をもとに編集したものです。写真、図、イラスト等は割愛させていただきました。印刷物の入手につきましてはメール等にてお問い合わせください。

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